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日本の出来事 | 京北病院の沿革 | ||||
1941 | 昭和16年 | 2月 | 旧弓削村国保健康保険組合設立 | ||
1942 | 昭和17年 | ||||
1943 | 昭和18年 | ||||
1944 | 昭和19年 | ||||
1945 | 昭和20年 | ||||
日本国憲法公布 | 1946 | 昭和21年 | |||
1947 | 昭和22年 | ||||
1948 | 昭和23年 | ||||
1949 | 昭和24年 | 10月 | 弓削村国保診療所として発足 | ||
1950 | 昭和25年 | ||||
1951 | 昭和26年 | 4月 | 宇津診療所開設 | ||
1952 | 昭和27年 | ||||
NHKテレビ放送開始 | 1953 | 昭和28年 | |||
自衛隊設置 | 1954 | 昭和29年 | |||
1955 | 昭和30年 | 3月 |
町村合併により京北町発足 京北町国保弓削診療所となる |
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5月 | 黒田診療所開設 | ||||
国際連合加入 | 1956 | 昭和31年 | |||
1957 | 昭和32年 | 12月 | 診療棟,病棟新築工事完成(18床) | ||
東京タワー完成 | 1958 | 昭和33年 | 4月 | 京北町国保弓削診療所廃止 | |
5月 |
国民健康保険京北病院に昇格,病院事業開始 診療科:内科・外科・産婦人科・歯科・放射線科 |
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1959 | 昭和34年 | ||||
(新)日米安全保障条約発効 | 1960 | 昭和35年 | |||
1961 | 昭和36年 | ||||
1962 | 昭和37年 | ||||
1963 | 昭和38年 | ||||
東京オリンピック開催 | 1964 | 昭和39年 | |||
日韓基本条約締結 | 1965 | 昭和40年 | |||
1966 | 昭和41年 | ||||
1967 | 昭和42年 | ||||
1968 | 昭和43年 | 4月 | 国保京北病院事業に地方公営企業法の一部適用 | ||
6月 | 短期人間ドック開始 | ||||
12月 | 病棟改築工事完成(18床)第一期分 | ||||
東大安田講堂事件 アポロ11号が人類初の月面着陸 |
1969 | 昭和44年 | |||
日本万国博覧会(大阪万博)開催 よど号ハイジャック事件 |
1970 | 昭和45年 | 2月 | 病棟新築工事完成(19床)第二期分 | |
1971 | 昭和46年 | ||||
札幌オリンピック 沖縄返還 |
1972 | 昭和47年 | |||
オイルショック | 1973 | 昭和48年 | 1月 | 病棟増築工事(10床),47床に増床 | |
1974 | 昭和49年 | ||||
1975 | 昭和50年 | 7月 | 小児科診療開始 | ||
ロッキード事件 | 1976 | 昭和51年 | 4月 | 産婦人科を廃止し,婦人科診療開始 | |
1977 | 昭和52年 | 3月 | 病棟増築工事完成(20床)67床に増床 | ||
8月 | 基準看護Ⅰ類許可 | ||||
第二次オイルショック 成田空港開港 中国と平和友好条約締結 |
1978 | 昭和53年 | |||
1979 | 昭和54年 | ||||
1980 | 昭和55年 | ||||
1981 | 昭和56年 | 4月 | 整形外科・泌尿器科診療開始 | ||
5月 | 診療棟全面改築工事完成 | ||||
10月 | 附属山国診療所廃止 | ||||
1982 | 昭和57年 | 5月 | 基準看護特Ⅰ類許可 | ||
1983 | 昭和58年 | ||||
1984 | 昭和59年 | 3月 | 救急告示病院指定 | ||
つくば万博 日本航空123便墜落事故 阪神タイガース日本一 |
1985 | 昭和60年 | |||
1986 | 昭和61年 | ||||
1987 | 昭和62年 | 1月 | 全身用コンピュータ断層撮影装置(CT)導入 | ||
1988 | 昭和63年 | ||||
昭和天皇崩御 | 1989 | 昭和64年 | |||
1990 | 平成2年 | ||||
バブル経済崩壊 | 1991 | 平成3年 | |||
1992 | 平成4年 | ||||
1993 | 平成5年 | ||||
1994 | 平成6年 | 3月 | 病棟,厨房全面改築工事完成 | ||
10月 | 診療棟改築工事 | ||||
阪神淡路大震災 ウインドウズ95発売 |
1995 | 平成7年 | 4月 | 眼科診療開始 | |
8月 | 新看護基準実施(3:1看護,看護A加算・10:1看護補助) | ||||
1996 | 平成8年 | 6月 |
新看護基準実施(2.5:1看護,看護A加算・10:1看護補助) 夜間勤務等看護加算取得 |
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1997 | 平成9年 | ||||
長野オリンピック開催 | 1998 | 平成10年 | 3月 | 看護婦宿舎工事完成 | |
10月 | 院内感染防止対策施設基準実施 | ||||
1999 | 平成11年 | 2月 | 療養型病棟群整備工事着手 | ||
4月 | 同工事完成(21床) | ||||
5月 | 薬剤情報提供料加算 | ||||
9月 |
事務室拡張工事完成 (訪問看護ステーションを設置) |
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10月 |
療養型病床群開設(入院基本料6 6:1看護・5:1看護補助) 細野診療所開設 夜間勤務等看護加算辞退 院内感染防止対策施設基準取得(2階病棟) 整形外科外来診療全日実施 |
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民事再生法・介護保険制度施行 | 2000 | 平成12年 | 4月 | 療養型病床群介護型12床・医療型9床稼働 | |
中央省庁再編 | 2001 | 平成13年 | 1月 | 山国診療所開設 | |
3月 | 外来待合表示システム設置 | ||||
サッカーワールドカップ日韓大会 | 2002 | 平成14年 | 8月 | 療養型病床群入院基本料2(5:1看護・5:1看護補助) | |
2003 | 平成15年 | 3月 | 整形外科診察室増築工事完成 | ||
9月 | 全身用コンピュータ断層撮影装置(CT)更新 | ||||
2004 | 平成16年 | ||||
2005 | 平成17年 | 4月 | 京都市へ編入合併により「京都市立京北病院」を開設 | ||
2006 | 平成18年 | 4月 | 一般病床入院基本料(10:1入院基本料) | ||
7月 | 療養病床特別入院基本料 | ||||
2007 | 平成19年 | ||||
リーマンショック iPhone日本での発売始まる |
2008 | 平成20年 | 2月 | 療養病床入院基本料2 | |
6月 |
一般病床5床を療養病床に変更 一般病床41床,療養病床26床となる |
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8月 | 院外処方の実施 | ||||
2009 | 平成21年 | 2月 | オーダリングシステム導入 | ||
5月 | 外来予約診療の実施 | ||||
2010 | 平成22年 | 3月 | 亜急性期入院医療管理料(6床) | ||
東日本大震災 福島第一原子力発電所事故 |
2011 | 平成23年 | 1月 |
一般病床3床を療養病床へ,療養病床の17床を医療療養病床へ,12床を介護療養病床に変更 一般病床38床,医療療養病床17床,介護療養病床12床となる |
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2月 | 病棟空調設備更新 | ||||
3月 | 給湯及び診療棟の暖房用設備としてペレットボイラーを導入,ナースコール更新 | ||||
4月 |
京都市から「地方独立行政法人京都市立病院機構」へ移行 医療・介護療養病床29床を介護老人保健施設(療養型)に転換し,「京都市京北介護老人保健施設はなふるさと」として開設 一般病床38床,介護老人保健施設(療養型)29床となる |
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10月 | 「京都市京北通所リハビリテーション施設はなふるさと」を開設 | ||||
2012 | 平成24年 | ||||
2013 | 平成25年 | ||||
2014 | 平成26年 | 居宅介護支援事業所の開設 | |||
2015 | 平成27年 | 在宅療養支援病院として登録 | |||
2016 | 平成28年 | ||||
2017 | 平成29年 | 4月 |
地域包括ケア病床(10床)開設 一般病床28床,地域包括ケア病床10床,介護老人保健施設(療養型)29床となる 由良院長医療政策監に昇任,高倉院長就任 |
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2018 | 平成30年 | ||||
2019 | 平成31年 | 12月 | 高倉前院長ご逝去 | ||
COVID19流行 2020東京オリンピック次年に延期 |
2020 | 令和2年 | |||
2021 | 令和3年 | 4月 | 森一樹院長就任 | ||
2023 | 令和5年 | 4月 | 安田達行院長就任 | ||